2008年11月30日日曜日
ホワイト・クリスマスのために
「クリスマスブレンドは、あんまりおいしくないな」
とイタチは思った。たとえばちょっと甘い香りのフレーバーがついているとか、それにブレンドだってもうすこしミルクと相性のいいものがあるんじゃないだろうか。
イチョウの葉が黄色く色づいて、ついにひらひらと舞い始めている。
2008年11月29日土曜日
イタチの休日。
カフェで働いた者が、その後カフェへ客として来なくなるのかというと、そうでもない。一時的に来ない時期があっても、カフェへ来る習慣は、やがて戻る。カフェはカフェ好きの人によって運営されたり、にぎわったりしているのである。
だがイタチが休日に客としてそのカフェに来たのは、なんとなく初めてだった。やあ、とみんなが言った。
「待ち合わせなんだ」とイタチは言った。
だけど、本当は別に待ち合わせなんかしていなかった。少なくともカフェに来た最初の時点では。
「トールラテをひとつ、クリスマスブレンドで」
2008年11月28日金曜日
グレーの朝、雨のち晴れ。
今日は一日暗くて、湿っていて、ずっとこの調子のグレーなんだろうな。そう思った朝が、昼頃から雨も上がり、午後も3時を過ぎるとだんだんオレンジがにじんできて、うっすらと色づきながら乾いていき、夕焼けで終わる。
イタチは、そんな日が好きだった。なにしろ、希望が持てる。
カフェには忘れ物のビニール傘が2本。閉店までにはすっかり乾いて、イタチはそれをくるくると巻いて次の雨に備える。
グリーンのエプロンのひもをほどくと、意外にもイタチは疲れていた。希望は持てたんだけど。
2008年11月27日木曜日
今日いちばんのお客さん
今日一人目のコドモのお客さんがやってきて、黄色いゴムの長靴を履いているのがイタチの目にとまった。ゴム長靴だけじゃなくて、見るとレインウェアも黄色のつるつるした素材で、フードのところだけ透明になっていた。あとからお母さんと思われる人が、自分の濃いピンクの傘と、コドモの青い傘をふたつ持って、店に入ってきた。
イタチはダスターを持って、来た階段を上り、2階へ戻った。まだ拭いていないテーブルはないか、確認したかったのだ。机を一通り確認し終わってちょっと階下を覗くと、お母さんがラテとシナモンロールと、キッズミルクとトナカイのキャンディをトレイに載せて、これから階段へ向かおうというところだった。コドモのお客さんはさっそくトナカイを取ろうとして、お母さんは手間取っている。
2008年11月26日水曜日
「アルバイト募集」の張り紙について
イタチはアルバイト募集の張り紙を貼るのが好きだ。それはもちろん誰かが辞めたり、来なくなっちゃったりして、人出が足りないじゃないか、という時にこそそれは行われるのだが、人が増えたからといって急に労働がラクになるわけではないし、もともとイタチが担っているのはカフェの仕事のうちのほんのごく一部の、吹けば飛ぶようなパーツなのだ。
「いいんですよ、付加価値部門って言ってくれても」
「うん、そうは思うけど、そっちのほうが今や大きいパーツなんですよ」
「なるほど」
「うん、だから付加価値って言ってもどう付加価値なのかってところがね」
「はい」
「うん、ちゃんと表現できるといいなと思ってさ」
「はあ」
アルバイトの応募要項
「ちょっとちょっと、イタチさん」
とイタチはある日の10時5分過ぎに、男性客のひとりに呼び止められた。
「なんでしょうか」
とイタチは言った。
「あのね、僕もアルバイトしたいんですよ。ほらこの店、今アルバイトを募集しているでしょう? それに応募したいんです。だけれども……」
男はそこで少し言葉を切った。よく見るとはじめの印象ほどは若くない。
「ルックスがねえ、問題かなあと思って」
イタチは大きく息を吐いた。これはたちの悪い冗談かも知れない。あるいはいやがらせかもしれないし、何か別に言いたいことがあるのかもしれない。やれやれ。こう言うときはルール7だ。
「そんなことはないですよ」にっこり。
「ええと、実は自分ではなくて……動物なんだ」
「動物?」
「コビトカバなんです」
「……」
「ここで働きたいって言ってるんですよ」
「だって」とイタチは思わず言った。「コビトカバは、ジャイアントパンダとオカピと並んで世界三大珍獣のひとつで、たいへんな稀少動物なんですよ」
「特技はね、会計なんです」
イタチは一方的な話しぶりが少し気に障った。
「会計が得意で、コビトカバではない者はたくさんいます」
「ごもっともです」と男はあわてて言った。
2008年11月24日月曜日
ピアノが弾けない。
カフェは、BGMにクリスマスソングを3割入れている。カプチーノにおけるミルクの分量だ。ジャズがかかり、ビーチボーイズがかかり、ドラマーボーイがかかる。そのうちドラマーボーイが「クリスマスソング」にあたるわけである。
そんな流れのなかにふいに「エリーゼのために」がはさまっていたりする。
イタチがいつものようにダスターを持って立っていると、ふちなしの眼鏡をかけた男の人が言った。
「なんでエリーゼのためなんだろうね。私はピアノが弾けないんだが。」
2008年11月21日金曜日
たけはし君のこと。
「よくコドモのお菓子なんかで、シールを集めてはがきで応募すると、抽選でおもちゃをくれるようなのがあるでしょう」
とたけはし君がいった。
この人がさ、なんと悦子さんの同級生なんだって。
「あれをね、一枚一枚読んでデータに打ち込んだり、抽選したり、時には返事を書いたりする仕事をしてる人が必ずいるわけですよね」
「返事は書かないかもしれないけどね」と悦子さんが言った。
「うん。でもいいじゃない、書いてるかもしれないでしょ」
「うん」と悦子さん。
で、そういう人に私はなりたいなのかな、とイタチは思った。
「で、そういう人に逢ったんですよ、昨日」
とたけはし君が言った。
「へえ」とイタチは言った。
2008年11月19日水曜日
ぐーぐるすとりーとびゅー。
ぐーぐるすとりーとびゅーは、墓地の中へ入ることはできない。せっかくパリへ行っても、ショパンの墓を見ることはできない。
ぐーぐるすとりーとびゅーは、野球場の中へ入ることはできない。そこを通りすがることはできる。街路に、美しい葉が揺れている。
ぐーぐるすとりーとびゅーは、列車の車窓からの風景を見せてはくれない。
ぐーぐるすとりーとびゅーは、埠頭から海を望むことはできない。
それでもその街を歩いたような気になれる。
「なるほど」とイタチは言った。
2008年11月18日火曜日
チャーター機にのって。
「またフライトですか、たいへんですね」と一人が言った。
「いや、そんなことはないですよ」ともう一人は言うのだった。その飛行機は、コンピュータ上に地図を作成するために、GPSを使って地球の表面の画像を撮影し続けている。「僕なんか、寝てたっていいんです」
相手はちょっと驚いて言った。
「そうなんですか? だっていろいろ仕事がありそうだし、操縦だってあるんでしょう?」
「自動操縦だし、仕事なんかあるといえばあるし、ないといえばないんです。そのうちに勝手に飛ばして、勝手に撮影してこれるようになると僕は思う」
「そうしたらどうするんですか?」
「また新しいことを考えます」
2008年11月17日月曜日
あと5分。
ブログというのはどこまでも断片なんだろうか。断片なのは悪くない。今日はなんだかすごく紆余曲折して、七転八倒して、うっかり自分を悪くいいかねない感じで、それでやっとともかくその「断片なのは悪くない」というところへ追いついたのだ。生産工学みたいなジャンルが、ひょっとするとあるのかもしれない。そこではよくできた生産ラインに牛乳パックみたいのが1時間に6万本できますみたいに次々と送られてくるみたいな気もするんだけど。
2008年11月16日日曜日
雨の公園
図書館の裏に、小さな林があって、その向こうに人が拵えた川の流れがひとすじ。東屋があって、その周りにうす緑色の丘があって、ちょっとした植木が栽培中だったりする。
「これはさ、あれに似てるね」
「あれって?」
「動物園だよ」
「動物園?」
「動物園あるじゃない、これによく似てる」
「でも……」
「似てるよ、そっくりじゃない」
「でもあれは公園でさ、とっても公園らしいよ。だからさ、」
「でも動物園に似てるでしょ」
「動物園が公園に似てるのかもしれないし、公園が動物園に似てるのかもしれないんだ」
「なるほど」
私たちは、これから動物たちのうようよしてる講演会というものに行こうとしていた。会場である図書館に、あと15歩ぐらいで着くところだった。
2008年11月15日土曜日
ポートレートとランドスケープ。
そのテーブルには、おじさんと高校生ぐらいの女の子──たぶん親子だと思う──が向かい合って掛けていた。イタチはいつものように、右手にダスターを持って、グリーンのエプロンをして、2階に立っていた。おじさんと女の子のテーブルはすぐそばだ。
「写真の縦が長いのをポートレート、横が長いのをランドスケープっていうんだよ」
「ポートレートって?」
「人物画って意味かな」
「ふうん。ランドスケープって?」
「風景画だよ」
「ああ、そうか」
「そうなんだよ。ずいぶん決めてかかるように思うじゃないか」
「何が?」
「縦長だと人物画で、横長だと風景画だなんて」
「縦長の風景画はどうするの?」
「おとうさんもそう思う」
「縦長とか横長とか名前を付けたり言ったりしなくても伝わるようになればいいんじゃない?」
2008年11月14日金曜日
水車小屋の交替
私は初めてだったので、仕事の説明を受けてから、仕事をするようにと言われていた。
「この水車は、時計を巻くのに使っているんです」と前任者は言った。「ま、説明は5分もかからないですよ。どうぞ」と言って、椅子を勧めた。
「水車に沿って、観覧車みたいに、バスケットがついています。このうち赤いのが机のところへ来たら、分銅をひとつ入れてください。これで時計は10巻したことになります」
「なるほど」
「分銅が7つになったら時計を外して、次に赤いのが机のところへ来るまでに、時計をセットしてください」
「わかりました」
「かんたんでしょ」
「そうですね」
「では私は帰ります」
「お疲れ様」
「さようなら」
前任者がドアを開けると冷気とともに風の音がわっと流れ込んできて、落ち着かないうちに、彼は去ってしまった。あとには静寂。「かんたんでしょ」「そうですね」「分銅をひとつ」「机のところへ来るまでにね」……。
さてと、次の交替が来るまでに、あと8時間ある。
2008年11月13日木曜日
イタチのスケート靴
イタチは、スケートに行くことになっていた。アルバイトの悦子さんの誘いで、生まれて初めて、スケートへ行くことになったのだ。
「スケート靴は借りればいいのよ」と悦子さんは言った。
「でも足がちょっと形が違うので」とイタチは言った。
「大丈夫」と悦子さんは言うのだった。「私が借りてあげるから」
さようならば、とイタチは行くことにした。
ところがさあ行こうという日の2日前に、いつものようにグリーンのエプロンをしたイタチは、右手にダスターを持ち、フロアに立っていて、突然──くしょん!とくしゃみをした。それから夕方へかけてくしゃみがひどくなり、翌日はついに途中から早退することになった。熱が高くなりはじめていたのだ。
「これはスケートは無理みたい」と悦子さんは言った。「だってすごい熱だもの」
イタチは苦しそうに、困った顔をした。
「しょうがないわね、また今度にしましょう」
そのようにしてスケートへ行く話は流れてしまったのだった。
2008年11月12日水曜日
ジェットコースター
ある日、イタチはジェットコースターに乗った。それはどちらかというとジェットコースターというよりもウォーターシューターというべき代物で、彼らも多少は遠慮してか「ウォータージェット」と呼んでいるのだった。
イタチはミニタオルをポケットにしまい、手際よく乗客のシートベルトを確認していく係員のおにいさんに、その白い腹を軽くにらまれ、発車ベルとともに、水面のほうへ落下していったのだった。
風景がどんどん近づいていき、機体がついに着水すると、水が跳ね上がってトンネルのようにもりあがる。まあ、言ってみればそれだけのアトラクションというわけだ。
イタチは少しも怖くなかった。
2008年11月11日火曜日
マルチカラー・フィッシュ
にぎやかなおばさんたちは3人連れだった。
「メバルを買ってきたんですよ」
「アカの?」
「シロの?」
「それともクロ?」
「そんなの知りませんよ。あ、いや、シロです、シロ」
「そう、それはよかったわ」
「でもね、私も思っていたんですよ、メバルって何色かなって答えられないじゃないですか」
「そうね」
「だからそういう魚なんだなって、思ってたんですよ」
「これまではね」
「ええそう、これまでは」
2008年11月10日月曜日
イタチと7人のおじさん。
イタチはいつものようにグリーンのエプロンをして、ダスターを持って、カフェの2階に立っていた。するとおじさんがやってきて、イタチに訊ねたのだ。
「ねこが来たんですか?」とおじさんは言った。
「いいえ」とイタチは答えた。
「なんだ、そうか」とおじさんは言った。
つづいて本屋の紙袋を抱えた別のおじさんがやってきて
「今日は雨って言いました?」と言った。
「いいえ」とイタチは答えた。
「それはどうも」
真っ赤なセーターを着たおじさんは、ツヤ消しシルバーのめがねをかけていた。
「何時から開いているの?」
「7時からです」
「ふうん」
今日はおじさんからよく質問を受ける日だなあ、とイタチは思った。案の定、次なるおじさんがラテのトールとシナモンロールをトレイに載せて、こぼれたり倒したりしないようにゆっくりと階段を昇ってきた。
おじさんは言った。「あとね、3人来るから」
2008年11月9日日曜日
よるねこ。
「最近、うちのねこがね」とマダムが言う。
「夜に家族が寝静まると、起き出して机のものを食べてるんですよ」
「あらま」
「ひときれだけ残っちゃったピッツアとか、レタスチャーハンとか……こないだは、肉団子なんかも」
「それはごちそうだこと」
相づちを打っているのは、マダムの友達。
「それが困ったことに」とマダムは続ける。「気に入ったところだけぺろぺろ舐めちゃって、まったくそのまんま。だからうっかりすると舐めたってことに気がつかないじゃないですか。ねえ?」
「それでどうして気がついたんです?」
「ある日ピッツアの溶けたチーズが、朝になってみると、ずれていたの。それで次の日に、寝たとみせかけて見てたのよ」
2008年11月8日土曜日
風の便りを。
意外に思うかもしれないが、イタチには手紙という文化がない。文化ぐらいありますよ、とイタチは反論してみせるのだが、手紙のほうはとんと駄目なのだ。やぎさんと同じですね。そういってからかうと、そうですか? とイタチは聞き返して、やぎさんとねえ、と思いめぐらすのだった。
「やぎはそれで、手紙の中味がわからなくなっちゃうんですけどね」
と私は言った。
「そんなわけはないでしょう」
とイタチは言った。「私たちにはわかるんですよ、つまりネットワークで」
「ネットワーク?」
「はい。携帯電話のようなものです」
2008年11月7日金曜日
12時のシンデレラの夢。
シンデレラじゃあるまいし、そんなに走らなくったって、だいじょうぶだよー。
イタチはいつの間にか絶叫していた。「うふわっ」と言って、自分の声で目が覚めた。ああ、疲れた、あんなに走って、とイタチは思った。
なんで走ることになったんだっけ? とイタチは思った。それは、気づいた時は12時になりそうだったからだ。まずい、早くしなきゃ、早く早く──それが始まりだった。シンデレラじゃあるまいし、とイタチは思ったのだ。
ただしイタチには「これは夢」とわかる「回路」がない。どうしてかは知らない。しかしイタチにとっては夢もほんとうも同等なのだ。
2008年11月6日木曜日
冬がやってくる。
冬なんて言ったって、店の中にいるぶんにはどおってことないし、とイタチは思っていた。丈の短いウールのコートを着た人が、えりを立てて店の中へ入ってきたり、派手な色のストールで首のまわりがぐるぐる巻きになっている人がホットのストレートコーヒーを飲んでいるのを見たりすると、確かに寒いんだろうなと思うけれども、そうは言っても雪の野山にいるわけじゃあるまいし、とイタチは思っていたのだ。
だが、何年かすると、そうは思わなくなった。寒い日にマフラーをすると暖かい、とイタチは思った。手ぶくろをするとツメの先が冷えない、ということも知った。
冬って寒いなあ、とイタチは毎年思う。
「慣れってもんですよ」と誰かが言う。だがイタチが後ろを振り返ってみると、そこには誰もいないのだ。
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