2008年9月6日土曜日

夕暮れのカフェの停電に。

spaceカフェの2階の奥まった席が、ぽっかりひとつ空いていた。夕方の慌ただしい時間だから、かなりラッキーだ。デスクライトがテーブルにタングステンの黄色い光を投げかけている。マックを開いて何か読むのにもちょうどいい席だ。しかし、目に入ったのはこんな記事だった。

育児放棄で、2歳の幼児が死亡。

まったく最近は、この手のニュースが多すぎる。事件が起こった家族の内実はあまり語られず、かと思うと母親が鬼と呼ばわれたりする。こういった死亡事件の解明にかかわる検事とか弁護士とか判事とかにいつか聞いてみたいと思うのだが、家族の内実を含めた犯人がそれまで置かれていた状況と実際の犯行との間に、いったいどれだけの因果関係が認められるんだろう? 飢餓で死にそうです、パンを盗みましたというような事件は、最近滅多に見聞きしない。──と、そこで突然、バッテリーが切れた。

いや違う、なにか停電のようなものだ。店内のライトが消え、外の通りが青白く見えている。店内の客がざわつき始めた。目が疲れそうなので、バッグをしっかり持って目をつむることにした。もし停電なら、と私は思った。作りかけのカプチーノはどうなっただろう? まぶたの裏の暗闇を見つめていると、不意に涙があふれてきた。

この手の事件はまた起きるだろう、と私は思った。子供が、どういうことかよくわからないうちに、死んでいく事件だ。どんな事情であれ、養育ができない大人はきっとまた現れる。子供を救うには、母親は養育するもの、できるものと前提してはだめだ。片親ができなければもう一方の親だし、両親ともできなければ同居人に通報の義務があり、というように相続人のように順を追って、役目を負うべき人を定めなければ。

目を開けると、ランプシェードの明るさも、BGMのジャズも、ソファのカップルも、何もかも、ひとつ残らず、元に戻っていた。
space

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