2008年9月11日木曜日

午後の雨。

space午過ぎから、雨が降り始めた。昨今の雨は決して優雅ではない。ワゴン車を駐めて荷物を積み込んでいたおじいさんは、この突然の雨で、荷物を積むのを途中であきらめてしまった。道路を走る車が、もう水の音を立てている。

中島たい子『漢方小説』を読んだ。いい読み物だと私は思った。新潮クレスト・ブックスの『記憶に残っていること』の「マッサージ療法師ロマン・バーマン」よりもいい。

カフェでは、私はどうしても発言が過激になる。気ままになり、言いたい放題になる。中島たい子の『漢方小説』は、チェーホフの再来と言われているらしいデイヴィッド・ベズモーズギスの『マッサージ療法師ロマン・バーマン』よりもいいだって? 何を基準にそんなことを言うんだ?

私は饒舌になる。いや、こんな時こそ決して進路変更しないのである。だいたい『マッサージ療法師ロマン・バーマン』は、細かいところまできちんと描きすぎる。それに扱うテーマが大きいほうが文学だというわけじゃない。というより、東京の30代のライターが、自転しつづける地球の政治的側面とか、移民として生きることの痛切さとかについて語るとしたら、そっちのほうが不自然というものじゃないだろうか? 帝国が歴史を書くように、帝国が人生を書くべきなのだろうか? 

「まさか」

色とりどりの傘がバスターミナルじゅうに開き、街路にはもう傘をさしていない人は一人もいない。私たちこそ、黄色い光に充ちたカフェに閉じこめられていると言えなくもない。ひとつの色の、ひとつの香りの、空気の動かないカフェに。

違うだろうと、私も思う。それがどうしたのだ。美しいドゥクラングールがこのままでは絶滅してしまうからといって、ドゥクラングールが住みやすいように地球をすっかり変えてしまうことなんて、誰にもできないのだ。
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