2008年10月7日火曜日

エピソード1:イタチが受けた相談。

space「それでもう、たいへんな騒ぎでしてね」とおばあさんは言った。おばあさんといっても若くてかわいい感じのひとだ。ピンクのししゅうのあるカーディガンを着ていて、テーブルの上には緑の小さなバッグがのっている。「サイレンが鳴って、救急車が来たりして、みんな動転してしまいましてね。それでなんと、亡くなってしまったんですよ。うちの人がそれっきり」

イタチは「はあ」という相づちを打とうと思ったが、うまくいかなかった。

「それで考えてみますと、ずっと、何十年も一緒に暮らしてきて、あの人が何を考えていたんだか、何にも知らないなあと思ってね。そこで今日はカフェへ来てみたんですよ」

「そうでしたか」とイタチは言った。このおばあさんの言っている「あの人」であろう人を、イタチは確かにこのカフェで見たことがあった。

イタチは言った。「何十年も一緒に暮らしていても、人が何を考えているかなんてわからないですよ」

「そういうものですか?」
「もちろんです」いたちは自分でもちょっと吃驚するくらいしっかりと相づちを打った。「だって、“何か”と言えるようなしっかりした内容がほんとうにあったと思いますか? わからなかったのは、なかったからだとわたしは思います。よのなか、あるのにわからないということが起こるほうがずっとずっと稀なんです」

おばあさんは少し考えてから言った。
「じゃあ、あの人はなんにも考えてなかったの?」
「そうです」
「ほんとうに」
「ええ、まるっきり」
space

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